都築 直子


窓の下を花輪はこびて行きにけり雨となりたる五分ほど前

近藤芳美『早春歌』(1948年)

 

近藤芳美は、1913年の明日5月5日に生まれ、2006年6月21日に93歳で死去した。

歌には三つの時間が示される。一つ、雨がふっているいま現在。二つ、雨がふりだした時点。三つ、雨がふりだす五分ほど前の時点。一読してこの三点がすっと頭に入る。ことばの斡旋が的確なのだ。

 

雨がふりだしてほどない窓の外を見やった<わたし>は、そういえば降りだす五分ほど前に花輪が運ばれていったなと思う。「花輪」は、婚礼用か葬儀用か、それとも商売用のものか。歌の置かれた「ベッドの部屋」一連は、韓国を舞台にした「昭和十四年」の章にあり、あるいは当時を知る人には、窓の外を運んでいくといっただけで、何の花輪かわかるのかもしれない。作者は後記に「昭和十三年卒業。就職と共に京城に転勤、YMCAの三階の一室に住んだ」と書いているので、「ベッドの部屋」はその一室だろう。だが歌は、そうした背景の知識なしで享受できる。むしろ、知らない方が、かえって読み手なりのイメージを広げやすいともいえる。

 

雨がふり出したのは、歌の場面から十数分前くらい前か。一時間も前から雨がふりつづいている場合は、雨がふる「五分ほど前」と細かくは思わないだろう。また、いま現在は雨がやんでいるとも取にくい。いまは雨がふりだしてしまったが、運搬の仕事はその前に片付いてよかったね、というのが歌意と読む。ともあれ、具体的な「五分」がおもしろい。「雨となりたるその少し前」などではなく、「五分」とする。結句に出てくるこの「五分」は、次の歌を呼び起こす。

 

バケツより雑巾しぼる音ききてそれよりのちの五分あまりの夢  斎藤茂吉『寒雲』(1940年)

*「雑巾」に「ざふきん」、「五分」に「ごふん」のルビ

 

この歌に示される時間は、二つだろう。一つ、雑巾を絞る音を聞いた時。二つ、その五分後に夢からさめた時。下の句を「それよりのちにしばしまどろむ」などとせず、「五分あまりの夢」としたのが技だ。一首の読みどころは、「より」の繰り返しなど別の要素にもあるのだが、結句のフレーズも印象に残る。この歌もまた、背景の知識などない方がむしろ深く味わえそうだ。

 

歌集の中で、茂吉の作は「昭和十三年」の章の「酢漿草」一連に置かれる。歌集収録の形と初出時の形の同異は私にはわからない。近藤は、『早春歌』上梓前のいずれかの時点で、いまの形となった茂吉作を目にしているか否か。読んでいる可能性は高い。もしかしたら、「雨となりたる五分ほど前」というフレーズは、近藤芳美の脳味噌の襞のなかに畳みこまれたものが形を変えてあらわれたのかもしれない、と想像するのは歌を読む楽しみである。