吉野 裕之


ソックスを履かず冷えるにまかせたる指をはつ夏の陽に差し入れぬ

源 陽子『桜桃の実の朝のために』(2008年)

 

源陽子は歌集『桜桃の実の朝のために』の巻頭にこの一首を置く。初句から結句までゆったりとことばを運びながら、そのゆったりした感じが読者に負担をかけず、無理なく関係を結ぶことができる一首だと思う。『桜桃の実の朝のために』という一冊の名も、ゆったりとしていて魅力的だ。

初夏の明るさと、しかしまだ春を残している季節感。この季節に、多くの人たちが実感しながらなかなかことばにできない、そんな思い。

「ソックスを履かず冷えるにまかせたる」。そう、こんなことはよくある。ソックスを履けばいいのだけれど、面倒だ、というだけでなく、履かないでいたい、そんなことを思いながら、でも履いたほうがいいかな、とも思いながら、結局、履かないままに半日なり一日が過ぎてしまう。指が冷たいな。実はそんな感じを楽しんでいたり…。

「指をはつ夏の陽に差し入れぬ」。暖かい。だから、指の冷たさが感じられて、その冷たさが「はつ夏の陽」の透明感と響きあって、暖かさが、過ぎていく春を惜しむ気持ちになって、あるいはやって来る夏の明るさを思って、いくつもの季節や季節が与えてくれるいろいろなもの/ことを、いま受け取っている(のだろう)。

「5・3-4・5・3-5・2-5」というリズムは、ゆったりとしてはいるが、けっして整っているわけではない。しかし、整ってはいないからこそ、心の襞に見え隠れする思いがかたちになったのだと思う。

 

旧友が軍事郵便史家となり葉ざくらのころ著書送りくる

右肩にぐらりぐらりと傾きて重たし隣席の春の海驢(あしか)は

空中のみずがきらりと霜になる時刻にふいに室温さがる

死んでまたおまえをおもう優しさの時間をそっと置いてゆきたり

掻きむしるほどではないが淡々と指が触れゆく初恋に似て

逢わざりし時間を連れて人が来る眼に歳月を宿らせながら

自転車が洗われて細き骨組みの息づく夏の光の雫

 

ゆったりと組み立てられた空間や時間は、私たちが日ごろ感覚しているそれらとすこし異なっており、日常というもの/ことへの向き合い方を教えてくれる。もうすこしいえば、彼女はもの/ことを日常の向こうから呼んでくる。「軍事郵便史家」「海驢(あしか)」「初恋」「歳月」。たとえばこれらのものがこととして広がりながら、日常を豊かに膨らませてくれるのだ。