芙蓉さきぬ ほのあかし ここ祖(おや)たちの激しき生命(いのち)のあつた場所にて

日高堯子『睡蓮記』(2008年)

芙蓉はアオイ科、木槿やハイビスカスと同属の落葉低木。
7月から9月に咲く淡桃色の花は一日花で、夕方には色が濃くなってしぼむ。
白花や八重咲きのものもあり、八重の白花で午後桃色に変わるものを酔芙蓉とよぶ。
芙蓉の花は大きくてあでやかだが、同時にはかなげな印象もある。
学名のHibiscus mutabilisのmutabilisは、英語のmutableと同じで、変わりやすい、無常の、という意味だ。
俳句では秋の季語になっているが、いかにも夏の終りの花という感じがする。

主人公は、父祖から譲り受けた家に住んでいるのか。久しぶりに実家を訪ねたのか。
庭のまぶしい夏の陽射しのなかで、芙蓉がゆれていた。
淡紅色の大きなはなびら付け根のほうは、底紅木槿のように濃い紅をにじませている。

いましずかな老後の時をおくっている父の青春時代には、大きな戦争と敗戦があった。
この家で、この庭で、父母はどのような日日を愛し合い、どんな暮らしのなかで主人公自身をさずかったのか。
一首の隣には次の歌がならぶ。
   敗戦日 空また晴れて日晒しの青姦(あをかん)のやうな日本も見ゆ

初句は、芙蓉さきぬ、であって、芙蓉さく、であってはならない。
芙蓉さきぬ ほのあかし、までは、まるで千年前につながるような、時間がとまったようなしずけさが流れていて、2句目の語割れのところで文体も口語的に変わり、主人公の意識は半世紀すこし前の敗戦と戦後の動乱の時代へと遡る。
そして、また老いた父のいるこの夏の終りの、まばゆいひかりの庭にもどってくるのだ。

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