柳原白蓮『踏繪』(1915年)
昼の太陽、夜の月。万物を照らす光さえ、ふたりのためのものとおもわせてくれる恋。
それは傲慢なものではなく、ひたすらに喜びのなかにある姿である。
語りあい、確かめあった日から初めて「天地を知る」というダイナミックな表現は、100年近く前のものでありながら新鮮だ。
これまで見えていたはずの、知っていたはずの空や木や海そして風は何の意味もなくなる。
そして、新しい匂い、新しい感触に心おどる日々。
その輝きはおおくのひとびとの記憶にも存在しているはずである。けれど、「天地を知る」と言い切ったひとがどれだけいるだろう。
この作者は、女性が女性として主張し生きるにはとても困難な時代に生きたひと。
歌集の歌にこめられた、女である葛藤をみると、何も語れなくなってしまう。
誰がために落す涙ぞ誰がためにほほゑむ吾ぞ女てふ名に
眠りさめて今日もはかなく生きむため偽りをいひ偽りをきく
あまっちょろい恋の感傷などよせつけない覚悟と強さのある歌である。