晋樹隆彦『秘鑰(ひやく)』(2004年)
「老眼鏡やむなくかくる決意せりかけてみて知る父さんのメガネ」。つまり、このメガネは老眼鏡である。
80歳を過ぎた私の父は、老眼鏡をもっていない。師・加藤克巳も、本を読むときに老眼鏡を使っていなかったように思う。しかし、たいていの人は、40代、50代になったら老眼鏡をもつことになるだろう。私は小学生の頃からメガネを使っているのでベテランだが、40歳、50歳を過ぎてはじめてメガネをもつ「初心者」もたくさんいるのだ。晋樹隆彦もそのひとり。
「初心者の衒(てらい)にあらむ」。そうか、つい、見せびらかしてしまうのか。「こそこそと」。しかし、メガネのレンズを拭くのがまだ様になっていないのだ。自分でもそれがわかる。だから、「こそこそと」。なんだか可愛らしい。「昼さがり」。不思議なもので、メガネのレンズは、汚れていなくても、なんとなく拭いてしまうものだ。とくにすることがないときなど…。
「衒(てらい)」「こそこそと」「昼さがり」。これらのキーワードが、一首の肌理をつくっている。
税務署の調査がありき かくなる折りメガネはふしぎにゆとりを呉れる
そうそう、確かにそうだ。メガネは、煙草みたいなものなのかもしれない。
夏雲の総(ふさ)の国からもくもくと沸く午後にして佐倉を過ぎつ
親鳥と雛にも見ゆる雲のあり間なく離れてゆきしたそがれ
泰子さんの家もたがわず大き樹と芝生と車庫につつまれてあり
子の夢は父の夢でもありたきをはるばる遠しアメリカ大陸
雪晴れというべき日かな昼近く屋根よりぽとぽとしずくの落ちる
みどり濃き甲斐一宮(いちのみや) 桃ははやつぶらなる実を切にはぐくむ
シマウマともロバともラバとも違うなりどこから見てもオカピはオカピ
からっとした明るさがさわやかな魅力の作品たち。風景を親しく受け止める晋樹の精神のありようが、そのまま韻律となっている。それが魅力の理由だろう。