吉野 裕之


淋しさは壊してしまえ生牡蠣(なまがき)に檸檬をしぼるその力もて

道浦母都子『花やすらい』(2008年)

 

孤立や孤独。人は、人とのつながりが切れた、切れていると知ったとき、淋しさを感じる。淋しさは塊だ。固体のように感じることもあるし、流体のように感じることもある。いずれにしろ、私たちのからだの真ん中あたりで、重さを示してくる。

「淋しさは壊してしまえ」。淋しさは壊すことができるのだ。いや、壊さなければいけないのだろう。淋しさは、次への一歩なのだと思う。人とのつながりが切れた、切れていると知ったとき。それは、新しい世界を組み立てるとき。だから、淋しさを抱え込んだままではいけないのだし、ましてや淋しさをごまかしてはいけないのだ。道浦母都子は、そのことを知っている。だからこそ、「壊してしまえ」と、自身に向かって、そして世界に向かってことばを投げかけるのだ。

「生牡蠣(なまがき)に檸檬をしぼるその力もて」。イメージが鮮明なフレーズ。檸檬は、牡蠣のもつ亜鉛の吸収をよくする、と何かで読んだことがある。理屈をいえば、ビタミンCとクエン酸が云々、ということだと思うが、私たちは、理屈とは別のところでそれを知っている。「その力」とは、物理的なそれだけを指すのではない。知恵とか文化とかいったことばを持ち出すと大袈裟になってしまうが、こうした力も、私たちの生にエネルギーを与えてくれている。

二句切れ倒置法の端正なかたちが、心地よい一首である。

 

終りより愛は生るるとき寂し笙のようなる海鳴り聞こゆ

信仰のようにすっくと立ちつくす桐のむらさき紀の空にあり

ふり仰ぐ六甲山脈悠久の肩を光らせ鉈のごと冴ゆ

無に至る死後を思えば肩やわし千年杉の椅子に凭れて

一粒の錠剤をもていざなわれ眠りの駅で見て居り白雨

 

道浦は、自らの身体を核に、空間や時間を拡張しながら、世界のありようを探っていく。その奥にかなしみが見え隠れしてはいるが、だから作品には、常にポジティブな輝きがある。