暗やみにマッチをすりて残像のかがやく視野をしばらく歩む

上田三四二『雉』(1967年)

 

上田三四二は、1923年の明日7月21日に生まれ、1989年1月8日に65歳で死去した。

 

暗やみでマッチをすったのは、煙草を吸うためだ。仕事から帰るところか、それともどこかへ出かけてゆくのか。暗い夜道を歩いてきた〈わたし〉は、立ちどまってコートのポケットから煙草の箱を取り出す。一本抜き、口にくわえ、マッチをする。光があらわれる。まばゆい光だ。闇のなかで、マッチの火は驚くほどつよく、しろく輝く。煙草に火をつけた〈わたし〉はすぐにマッチを消してまた歩きはじめるが、白いような青いような赤いようなひかりのかたまりが、しばらく視野いっぱいに輝いている。

 

〈暗やみに/マッチをすりて/残像の/かがやく視野を/しばらく歩む〉と5・7・5・7・7音に切って、一首三十一音。上に書いたほどの情景を、平明なことばで過不足なく伝える。肩の力を抜いて、ささっとスケッチしたような仕上がりだが、ここに至るまでの修練は並のものではないだろう。光そのものではなく、「残像」を描くことによって光のまばゆさをいう。「残像のかがやく視野」ということばは、イメージ喚起力がある。

 

「視野を歩む」という言い方もおもしろい。作者には、「残像」「視野」と漢字語を連ねずに、一方を和語にする選択もあった。

 

暗やみにマッチをすりて残像のかがやく視野をしばらく歩む  (原作)

暗やみにマッチをすりて残像のかがやくなかをしばらく歩む  (改作)

 

「かがやくなかを」でも、歌としておかしなところはないし、読者によってはこちらの方がいいと思う人もいるかもしれない。好みの問題だが、上田三四二にとっては、「視野をしばらく歩む」でなければならなかった。西洋語を翻訳したような調子。「視野」のシと「しばらく」のシを重ねて、イ音を鋭く響かせる。

 

闇と光をめぐるこの歌を読んで、私は、静と騒をめぐるつぎの歌を思った。

 

大いなるくしゃみを二つせし夜のその沈黙に耳は驚く  岡部桂一郎『一点鐘』

 

静かな夜にくしゃみをしたら、自分でびっくりするほど大きく音が響いた。「沈黙に驚く」という言い方が、音の大きさを告げる。視覚を詠う上田と、聴覚を詠う岡部。自分が一番伝えたいイメージをどういうことばにすれば読者に伝えられるか、その術を知っている作者たちだ。

 

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