吉野 裕之


川を呑み川を吐きだす橋といふさびしきものの上を歩めり

大塚寅彦『ガウディの月』(2003年)

 

鳥のため樹は立つことを選びしと野はわれに告ぐ風のまにまに

携帯電話(けいたい)をかければつねに夕暮のこゑもて応(いら)ふ女性(をみな)さびしむ

残照をただにさびしと見る者に金星(ヴィーナス)は言葉告ぐるがに耀る

選ばれて鴉となりし者ならむゆらりと初冬の路に降り来て

雪の昼ふと曼荼羅のごとく見ゆPC内部のマザーボードは

魚の眼にわれは異形のものなるを しづかなるひるの水槽に寄る

地球より離れゆけざるかなしみのあらむか月のひかり潤めり

 

『ガウディの月』は、大塚寅彦の4冊目の歌集。端正な文体とそれを支える繊細な感受性は初期からのものだが、壮年期を迎え、ここには、世界と自身のどちらが主体でどちらが客体かという関係ではない、両者の親しい関係がある。20代前半に上梓された最初の歌集『刺青天使』(1985年)には、たとえば「者の瞼をとざす如く弾き終へて若きピアニスト去る」「をさなさははたかりそめの老いに似て春雪かづきゐたるわが髪」「母の日傘のたもつひめやかなる翳にとらはれてゐしとほき夏の日」といった佳作が収められているが、『ガウディの月』には、日常の折り畳まれた襞に垣間見えるもの/ことの本質を掴み出していこうとする、確かな意志がある。

 

川を呑み川を吐きだす橋といふさびしきものの上を歩めり

 

「川を呑み川を吐きだす」。ああ、そうなのだ。人や物を安全に渡すために、橋は常に、川を呑み、川を吐きだしている。ただただ、その単調な行いは続く。そこに、橋の意志はない。

「橋といふさびしきもの」。ダムやトンネルもそうだが、ひとりひとりは小さな力しか持たない私たちが、大きな自然に向き合い、乗り越えたり、あるいは利用したりするためにつくりだした構造物は、なぜかさびしさを感じる。ストイックな力強さを期待する私たちの思いが、ふとこんな感情をもたせるのかもしれない。

5・7・5・7・7。いわゆる定型の音数。初句から四句までの最初はa音、結句のそれはu音。整った韻律が、静かに一首を支えている。