吉野 裕之


ママ なぁに ママ 気泡の如き会話する 君小さくて小さくて 夏

筒井富栄『未明の街』(1970年)

 

雲のない背景 垂直 鉄梯子 のぼりつめたる生命(いのち) 芥子色

 

筒井富栄の最初の歌集『未明の街』はこの一首からはじまる。発行所は、秋谷豊の現代詩工房。著者40歳の年に上梓された一冊である。

 

ふらんすの海岸の名の香水が売れて都会の夏は終った

ブラインド 午睡(ひるね) オーデイコロン 蒸しタオル 電話 街の灯 白い外出

ベゴニアの鉢を抱えてはねながらホテル・ボーイの消える裏口

野いちごのしげみ二人のくちびるの間で溶けるこうばしい夏

アンセリュームの花ひらくあさ地下街にボイラーマンの火傷 悪化す

地上には瘠牛あふれ背にかるいナップザックをゆすりつつゆく

きらきらと塩にまみれて紅鱒はねむる かすかに痛む背をもち

樅の木が樅でなくなるクリスマスかさかさゆこう街がかわけば

湯気のたつハムエッグスが二人ぶんゆっくりさめる午後にむかって

とおくで 何かがおちて それっきり 音はどこかへ にげてしまった

 

多様な試みは、いまも新鮮だ。明るい感受性は、しかしかすかな悲しみを抱え、新しい、つまり自らの韻律を模索している。韻律は意味に接続しつつ、それを志向していない。あるいは、はじまりを待っている、ということかもしれない。

「ブラインド 午睡(ひるね) オーデイコロン 蒸しタオル 電話 街の灯 白い外出」。俳句は体言の詩、短歌は用言の詩。しかし、筒井はこんなに美しい短歌を提示する。

 

ママ なぁに ママ 気泡の如き会話する 君小さくて小さくて 夏

 

5・2・7・5・7・7。こうしたリズムで理解するのが、自然なのだと思う。初句5音と二句7音のあいだにある「ママ」の2音。この2音が、一首を佳作にしている。

上句は、「なぁに」のあとで小さく切れ、次の「ママ」のあとですこし大きく切れ、ゆったりと二句・三句へ接続していく。下句は、2・5・5・2のリズムが、i音の連続、「小さくて」の繰り返し、a音+u音で構成されており、心地よい響きを生み出している。

「気泡の如き会話」。なんでもないような、しかし巧みな把握だと思う。「ママ なぁに ママ」。こんなやりとりは、世界中でたくさんたくさんあっただろう。これからも、たくさんたくさんあるだろう。覚えてはいないけれど、私だって、母と何回もしたはずだ。会話とは呼べないかもしれない、でも、確かに交わされるもの/こと。

 

しばらく海にゆかずにいるが海はまだゆったりそこにあるのだろうか

この街でわが座るべき木の椅子をひたすら思う日の落ちるまで

雨にあうニコライ堂に近くいてもう夏であるまた夏である

 

最後の歌集『風の構図』(1998年)には、こうした作品が収められている。感覚の瑞々しさは、豊かさを加えながら、けっして変わることはなかった。