宮柊二『藤棚の下の小室』(1972年)
*海に「うな」、注に「さ」、川水に「かはみづ」のルビ。
しつこいかもしれないが、もう一首文語による新年の歌を読んでいただきたい。そして、また宮柊二、しかも前田さんの紹介された同じ歌集の歌であるが、新年の気配の残る今だからこそお付き合いを。
まずこの一首、ゆっくり、ゆったり読んでいただきたい。できれば声に出して。そして内容を考えながら味わってもらいたい。いつか静かな気持ちになっている自分に気づくはずである。
この歌、正確に五七五七七になっていることに注目してほしい。短歌の正統な調べがこのようなものである。新年を感受する歌としてふさわしい豊かさを、この調べが支えている。
「海じほ(うなじお)」、海潮という語はあるが、「海じほ」は宮柊二の造語の可能性が強い。うしお、海水をあらわす。河口から海に川の水が注ぎこむ。川水が海水に混ざるまでしばしゆったりとした流れがある。そしてやがて海水にまじりあう。その静かな動き。
歌は、ここで一変する。その静けさのように大晦日から元日へ年が移行してゆくと歌意が転じて行くのだ。時の推移が静かに心を満たしてゆく。
上句は、いわば比喩と言えるが、古典和歌における序歌的表現(序詞とも言う)と呼んだ方がふさわしいだろう。
この一首は、宮の第七歌集『藤棚の下の小室』の巻頭の歌だ。勤めを辞し文筆生活に入ってから最初の歌集である。歌集名は創作の場を言い表したものだ。
空ひびき土ひびきして吹雪(ふぶき)する寂しき国ぞわが生(うま)れぐに
夜もすがら空より聞こえ魚野川(うをのがは)瀬ごと瀬ごとの水激(たぎ)ち鳴る
同歌集に収められた故郷の歌である。新潟県北魚沼郡堀之内町――今も冬の大雪の厳しい土地である。宮柊二の墓もここにある。その風土の厳しさが、宮の彫琢された文語短歌の美しさを育んだのだと思う。この新年の歌を何度も口ずさんで、文語短歌の味わいを感じてほしい。
私は、こうした歌を手本のようにして自分の歌を作っていた時期がある。自分のものにできたとは全く思えないが、歌を詠むときの核にこうした文語定型歌を理想のように置いている。とは言いながら表現とはふしぎなもので口語時代の動きを自ずから被るようでもある。しばらくは文語/口語の鬩ぎあいに歌が磨かれて行くのであろうか。