笹谷潤子『夢宮』2014
自分とは何か、存在していいものか、などと考え出すとその考えはあまりいい方向には進まない。そういうことをおかしくなるほど考えていたのは30代の頃だったと思う。「我とは何か、考えても答えは出ないから最初から考えない方がいいよ。」とある日知人が言ったので、それから考えないようになった。
この『夢宮』にはわれについて問いを投げかけている歌がいくつかあった。作者は「われ」という問題に捉われつつも、歌のなかのその答はわりとドライだと思った。
この一首も不思議な感じがする。「われ」というのは「神につくられたお試し品のクレヨン」なのだ。「お試し品」という表現で私は少し気が楽になった。お試し品だから失敗作でも成功品でもどっちでもいいわけだ。神はそのお試し品で試し書きをして遊んでいるように見える。肉体が神からの借り物であるという宗教的な考えをよくきくがそれよりももう少し自由な発想がある。
スカートに思ふさま風はらませてわたしはわたしが喩へし誰か
こんな伸びやかな歌もある。「わたし」は「わたし」ではなく、「わたし」が喩えた誰か、「比喩」として存在している。風をはらませて履くスカートも「女」という比喩を演じる小道具かもしれない。風をはらませて誰かに成りきって、自由に人生を飛んでいくような作者が見える。
おみくじは半吉とあり前(さき)の世の夫の名前のやうな半吉
春疾風(はやち)吹きてをらむか陰毛をていねいに入れ下穿き着けぬ
発想も自由なら、表現もぶっ飛んでいる。2014年早々、風を吹き起こす歌集に出会った。
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