放課後を纏はり来ては酸漿を鳴らす子ありきいま如何にある

小島宗二『小島宗二追悼集』(2012年)

 

小島宗二の名はあまり知られていないかもしれない。1922(大正11)年、神奈川県愛甲郡半原の生まれ、生涯その地に住み暮らした。「創作」を経て「声調」に参加。『大橋松平全歌集』の作成に力を尽した。『余響』『余映』『余滴』の三歌集に初期作品『楢の木立ち』がある。

私の住む海老名から愛川町半原は、車で30分の圏内にある。こんな近くに優れた歌人が在住していたことを知ったのは、つい最近、小島宗二の没後であった。小島は2011年2月12日に亡くなっている。

玉城徹が「左岸便り」に小島の『余滴』について書いた文章を読んで存在を知ったのだが、そこに評価された歌は、目をみはるものであった。

 

房に垂れて咲く棕櫚の花かかるをも歓びとして雨の日は暮る

木賊(とくさ)とふ山辺の村の寺の蔭湧きつぐ水は草にうるほふ

 

この二首を読めば、力量のほどが分かるだろう。一首目「こうして画の方でマチエール(画肌)とよばれるものがつくられる」。二首目「面白い味のある歌だ」とは玉城の評価である。二首目の下句「水は草にうるほふ」は、その風景を目に浮かばせる。

こんな歌をつくる歌人を、しかもわが住む地に近くいらしたのに、なぜ知らなかったのだろう。不勉強が口惜しかった。そんな思いを持ってしばらく小島宗二、こじまそうじとつぶやきながらブックオフなどを廻っていたら、あったのだ。小島の第一歌集『余響』が。願えばかなうのだろうか。ブックオフだから安い。文化度を危ぶみながらの105円、ほんとうに申し訳ない気持ちでレジへ向かった。

第一歌集とはいえ収録された作品は、期待を裏切らないものであった。また作品を紹介する機会があるだろうから、ここでは触れない。

この歌集を見つけた頃、厚木市短歌会という迢結社の組織から講演を依頼された。自分の歌を語るなかで小島宗二の歌の良さを紹介した。会の沿革にも無知で、ただ思うままに話を終えると小島に歌を教わっていたという方が何人も声をかけてくださった。これは驚きだった。そのお一人が後日、『小島宗二追悼集』という冊子を送ってくれた。今日ここに揚げた歌は、そこに収録されていた「『余滴』以後」の作品の最後に置かれていた一首である。

小島は小学校の教員を定年まで勤めた。教員になったのは戦後まもなく。小学校の教員になるには、苦難があるのだが、それも今はふれない。この歌が小島の最後の歌なのかどうかは分からないが、人生の最後に昔むかしの教え子の行方を問うている。この歌人は信用できると私は思ったのであった。