前田康子


ハンカチを泪のために使ふことなくなりて小さき菓子など包む

雨宮雅子『水の花』(2012)

 

ハンカチをいつも2枚持ち歩いてる友人がいた。1枚は手などを拭く分厚いもの、もう1枚はこの頃どこででも泣いてしまうので涙を拭くように持っているという。この歌を読んでそのことを思い出した。夫を亡くして哀しみのなかにいた作者だが、そこから徐徐に立ち上がり涙のためにばかりハンカチを使うことがなくなった。今日はハンカチで菓子などを包んでいる。「包む」という終わり方があたたかさを連れて来る。

 

沢瀉(おもだか)は夏の水面の白き花 孤独死をなぜ人はあはれむ

 

この歌集にはこういう歌もある。「孤独死」はこの頃よく聞かれる言葉で、独り暮らしの若い人にも起こっているという。この歌についてあとがきに雨宮が書いている文章にも心魅かれた。この歌は友人であった小中英之の「沢瀉は水の花かもしろたへの輪生すがし雷遠くして」から作ったという。「輪生」というのは植物の用語で茎の一節に3枚以上の葉が輪状についている状態。水生植物の沢潟の様子をきっちりと表している。生前、小中は「野垂れ死にの覚悟」が口癖だったというが、平成13年に本当に孤独死した。

孤独死は凛とした沢瀉の花に似て救いのように思える、その覚悟をもって歌を作りたいと雨宮はあとがきで述べている。その言葉は、死をまだ遠いものと思っている私の背中をどんと押すように響いてきた。

 

かげろふに芙蓉の花はゆらめけり どう生きるかはもう間に合はず

 

こういう歌も雨宮の年齢だからこそ詠めるような歌だと思うが、迷っている暇はないのだよと遠くから、歌が私を静かに諌めてくれているように思える。