夕の陽にみつまたの花咲きけぶる甦りくるいのちの明かり

成瀬有『流離伝』(2002年)

 晩年の成瀬有は、ミツマタの花に執着するようにくりかえし歌った。まるで自分のいのちそのものであるかのように。

「ここ奥武蔵に住むことになり良かったことのひとつに、石楠花や三椏などの、普通は山深くでしか見られない花々が、そこかしこに見られることである。四年前に病気をするまでは身に沁みて感じることが少なかった」(「白鳥」後記2009年5月)と書くように、2005年に食道癌が発見され、以降亡くなるまでミツマタはたびたび歌われる。

 

黄の細かく山茱萸も三椏もうち震へうち震へをり春浅き日は 『真旅』

黄にみつまた ほつほつに咲き かなしいぞ 旺然と去(ゆ)く春の雲の下 『真旅』以後

黄に浄く匂へ 三椏 胸水のまた増し 荒く息つぐわれに

 

病中のいのちの指標のようにミツマタが歌われている。胸水は、肺にたまる水分。体調が悪いことが分かる。

ただ、今日のこの一首はまだ癌宣告を受ける前の作品である。ミツマタの素朴な美しさに気づいたのが、この頃であろうか。成瀬の第四歌集になる『流離伝』には、次の一首もある。

 

時すぎて過ぎたる時は還らねどみつまたの黄の花を見に来よ

 

成瀬は、釈迢空・折口信夫の短歌の究明に力を尽していた。そして短歌の上でも迢空の強い影響も受けていた。その迢空の晩年にミツマタを歌って美しい一首がある。

 

みつまたの花を見に来よ。みつまたのさびしき花は、山もかなしき 『倭をぐな』以後

 

この歌の跡を継ぐつもりが成瀬にはあったにちがいない。さびしく可憐な黄花をいのちの明かりにたぐえ、病による衰弱に耐えようとしていた成瀬がせつなく思われる。