鞍馬山歌の石とは知りながら君仮初めに住むここちする

与謝野晶子『白桜集』(1942)

 

『白桜集』は与謝野晶子の遺歌集である。昭和9年から晶子が亡くなる17年までの歌が収められているが、昭和10年に与謝野鉄幹が亡くなり、鉄幹への挽歌が多く詠まれている。そのなかでも冒頭の歌は好きな一首。鞍馬寺は私の家から電車ですぐに行ける場所だが、豊かな鞍馬山の自然のなかに晶子と鉄幹の歌碑が並んであり、書斎だった冬柏亭も東京から移築され中を見学することが出来る。

この一首は鉄幹の死後、一人で鞍馬寺を訪れた晶子が歌碑を眺めながら偲んでいるととった。墓や仏壇などに手を合わせ故人を思う歌はよくあるが、歌碑のなかに、君がいまもそのままいるという発想は何か斬新だ。作歌を中心に暮らしてきた歌人夫婦ならではの歌ではないだろうか。鞍馬寺にある二人の歌碑は鉄幹が「遮那王が背くらべ石を山に見てわが心なほ明日を待つかな」晶子が「何となく君にまたるるここちしていでし花野の夕月夜かな」という歌で、鉄幹の方は鞍馬寺にちなんだ源義経を題材にした歌である。

 

筆硯煙草を子等は棺に入る名のりがたかり我れも愛できと

封筒を開けば君の歩み寄るけはひ覚ゆるいにしへの文

冬の夜の星君なりき一つをば云ふにはあらずことごとく皆

 

どの歌もよく知られた歌であるが、挽歌でありながら哀しみよりを越えて鉄幹への愛の賞賛が強く感じられる。一首目は鉄幹の棺のなかにもっとも愛された自分も入れてほしいと望んでいるような歌。二首目は昔もらった手紙の封筒をあけると、そこに君が再び歩み寄ってくるような気配を感じている。三首目では冬の夜空に光る星ひとつがあなたではなく、輝いている全ての星があなただと表現する。失ったことへの哀しみに浸るのではなく、どうかして君の魂と触れ合っていたいという強い気持ちがこのような挽歌を作らせたのだろう。相聞歌でも新しい分野をひらいた晶子であるが、その挽歌にも新しいものを感じる。