一ノ関 忠人


いづくにかわれは宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば

高市黒人『万葉集』巻3・275番歌(8世紀)

 

高市黒人(たけちのくろひと)は、柿本人麻呂とほぼ同時代の万葉歌人である。7世紀の終りから8世紀初めにかけて持統、文武朝に仕え、残された歌の数は多くないが、どの歌も凝縮した集中力を示すすぐれたものだ。20首に満たない黒人作のほとんどが旅の歌であることも、印象を鮮明なものにしている。

この一首は、『万葉集』巻三の「高市連(むらじ)黒人の羇旅の歌八首」の内の一つである。

 

旅にしてもの恋しきに山下の赤(あけ)のそほ船沖を漕ぐ見ゆ

わが船は比良の湊に漕ぎ泊てむ沖へな離(さか)りさ夜ふけにけり

 

このような歌と共にこの一首がある。新古典大系は二句を「わが宿りせむ」と読む。一二句の原文は「何処 吾将宿」だから、何とも言い難いが、私は「われは宿らむ」で覚えてしまっているし、調べの自然さもこの読みのほうがスムースに感じられる。

黒人の歌には、舟の旅、また小舟の行方をみているといった歌がある。この歌の前二首も琵琶湖を渡る舟にかかわる歌だから、これも舟の旅とも読めるけれど、私はこれは、琵琶湖の湖畔を北に向かって歩いている旅人の歌だと思う。「高島の勝野の原」が、その思いを誘う。「勝野」には「徒歩(かち)」が被さってはいないか。

「高島の勝野」は、琵琶湖西岸北部の今も残る地名である。古代のこのあたりは原野のような場所であったろう。いったいどこに今夜の宿りを求めればよいのか。この高島の勝野の原野に日が暮れてしまったらば。こんな意味になるだろう。

黒人の旅の目的は分からない。しかし旅の夜の不安はこの一首にもはっきりと表出されている。深沈たる夜に旅の行方を思い果てなき不安を鎮めるには歌をうたうよりない。旅の夜の鎮魂歌は、故郷の家や妻を歌うのが典型的だが、黒人はその地の現実の不安をうたった。

私も、この地を一人で旅したことがある。勝野からもう少し北へ行くと安曇(あど)川が湖に注ぐ場所があり、その冬枯れの荒野にたたずんだ。さっきまで明るさを保っていた琵琶湖だが、急速に夕暮れて行った。その夜の宿は決めてあったが、川水が琵琶湖に注ぎゆく流れの跡をたどり、言いようのない寂しさ、孤独感にとらわれた。そしてこの黒人の一首がしづかに思い出された。その時からこの一首は、『万葉集』のなかで私のもっとも愛する歌である。