水はやき小川の浮藻いまのわが心にも似てゆれやまぬかも

岩本素白(来嶋靖生『岩本素白 人と作品』2014年)

 

ここ数年の素白人気は異常なほどだ。池内紀の『素白先生の散歩』(みすず書房「大人の本棚」)が火をつけたか、『東海道品川宿』(ウェッジ文庫)、『素白随筆集』(平凡社ライブラリー)、『素白随筆遺珠・学芸文集』(同)、『素湯のような話』(ちくま文庫)、そしてこの来嶋靖生『岩本素白 人と作品』(河出書房新社)である。来嶋靖生が「槻の木」の歌人であり、素白が随筆を寄せていたのがその「槻の木」であるから、より身近な素白論ということになる。

岩本素白(1883年~1961年)、本名堅一。早稲田大学を卒業、窪田空穂と親しく、麻布中学、早稲田大学で教鞭をとる。『山居俗情』『日本文学の写実精神』『素白集』などの著作がある。最初の著作『山居俗情』(1938年)は、以前の砂子屋書房の刊行である。

随筆の味については、すでに多くの紹介がある。俄ファンである私には、多くを語る資格はないが、味わいは格別だと思う。文庫版の素白随筆が、こんな手軽に読めることは幸せだと思っていいだろう。ぜひ、直接読んでみてください。

来嶋靖生の紹介によれば、1945年5月25日の大空襲で東京麻布の素白の住居も灰燼に帰す。その後、縁を頼って長野県屋代町(現在の更埴市)に疎開することになる。その地で無聊を託つ素白は短歌を作りだした。本林勝男によると日記には700首を超す短歌が確認され、その内活字になっているのは318首だという。

 

足曳の山の柏葉匂ひ愛で飽かずわが食ふふかし焼もち

いたづらに今日を永らへわが聞くや数かぎりなき若き人の死

月高く静けき町を物背負ひ勝たで帰りし兵士ら通る

この町の祭りの今日を店もいでず衣着かへてただに遊ぶ子

 

戦後の信濃、屋代に疎開した素白は、「蒸し焼餅」、お焼きと言ったりする郷土食を食し、裏街道を須坂、松代、飯山あたりまで足をのばし散策をかさねたようだ。これらの戦後風景も、このあたりの武家町、蔵の町での風聞、嘱目、自然であったのだろう。須坂は、私の妻の実家がある町だ。商家の蔵が、今も残る古風な坂の町である。松代は古風な武家町、飯山は寺の町、それぞれに特色ある。

今日のこの一首は、水が早く流れる小川だから、松代の武家屋敷を流れる溝川のように思えるがどうだろうか。戦後間もない時期の不安を歌ったこの一首、たとえば宮柊二の戦後詠と比べても遜色あるまい。