ひと一人おもひ初めたり行く道はうすももいろにひるがほの花

恩田英明『白銀乞食』(1981)

 

家の近くに小さな駐車場があり、昼顔が今ごろになるとフェンスに絡まり咲いている。昼顔は朝顔と違って種ができるのは稀である。地下茎で増えているのである。駐車場は何度もアスファルトを埋め変えたが、毎年昼顔はその下から生えてきて花を咲かせている。そんな強靭な昼顔だが、咲いている姿は少女のようなイメージでやさしい。この歌も恋の始めの初々しい気持ちが下句に感じられる。昼顔の薄い桃色、柔らかく風に吹かれる様子にはあどけなさのようなものが漂っている。

 

素硝子に映る汝を見飽かねば地下鉄道は走りつづけよ

冷えたるが歯にしみとほり食む野菜レタスを君はわれは胡瓜を

 

昼顔の歌の続きにはこのような作品がある。一首目、恋した相手と二人地下鉄に乗っている。相手の顔を正面からは見ずに電車の窓に映った顔を見ている。このままずっと見続けていたい想いが下の句に素直に表われている。二首目は一つの皿のサラダを分け合っているのだろうか。下の句の「レタス」「胡瓜」の具体が爽やかで、瑞々しい時間が二人の間を流れている。

 

また、作者が生き物を詠んだ歌に印象的な歌がある。

 

日の落ちてなにかさびしき鳴きたつる一頭の牛どこの家にか

街道は日暮れゆきたりもはや死にし蛇を放りて子らも去りたり

郭公を遠くききつつ霧のなかわれは歩めり捨てられしごと

 

作者は新潟の山奥の寒村で生まれ育ったというが、この三首にもそういった村の情景がよく出ている。一首目はどこかの家で飼われている牛が日が暮れてから鳴きたてている。その声がせまい村に長く響いているのだろう。低い牛の声に物寂しさがある。

二首目は日が暮れてきて蛇で遊んでいた子供たちもそれを放り投げて帰って行った。「もはや死にしも」で掴まえた蛇をいたぶって殺してしまったことがわかる。先日、昆虫や蛙、蛇を触れない子供が増えているという統計がニュースであったが、恩田の歌のような情景は昔は日常茶飯事であっただろう。三首目は霧が立ちこめる中遠くで鳴いている郭公を聞いている作者。下の句が特に印象的である。「捨てられしごと」、この世でたった一人になってしまったような寂しさをここに感じる。失意のような寂しさを胸に感じながらあてもなく歩く作者が見える。

 

すずかけのあをき(たま)()をとらむとし日のかがやきにまなこ射られつ

 

こういった歌から思うことは、作者は自然の懐に抱かれて安穏としてはいない。捨てられたような孤独を感じたり、「まなこ射られつ」と自然の鋭さのようなものを感受している。そこに独特の感性と歌の作りの強さを感じた。