ひと穴に一匹づつ待つ蟻地獄ベージュの砂をへこませてゐて

松原あけみ『ペロポネソス駅』

娘が小学生のときに、夏休みの理科の自由研究でアリジゴクを観察した。近くの鷺の森神社の境内の砂のなかからアリジゴクと砂をそのまま持ってきて水槽に入れるだけで、あとは時々、生きた蟻をそこへ投げ入れる。意外と小さな虫で辛抱強く餌の虫が落ちてくるのを砂の底で待っている。蟻は砂の中から這い上がろうとしてもすべって上がれない。なかなか残酷な世界だ。娘より私の方が喜んで毎日それを眺めていた。近所の子供たちもときどき見にやってきた。

この歌、上の句が面白く表されている。当たり前のようだが、ひと穴にアリジゴクは一匹しかいない。すり鉢状の罠を上手く作って底で静かに一匹が獲物を待っている。あらためて「ひと穴に一匹づつ」と認識しているところがいいと思う。「ベージュの穴を」には砂漠のようなさらさらとした砂を思い起こさせる。

 

さういへば歯医者の椅子に点りたる祈りのやうなる炎の青さ

細長いキッチンは舟、ゆふぐれを少なき家族はときをりゆき交ふ

 

このような歌にもひきこまれるものがある。一首目は歯医者で治療を受けるときに私もみたことがある。小さい器材に炎がともって何に使われているのか、こちらは治療される身だから見えない。「祈りのやうなる」という表現がよくて不思議で厳粛な感じがする。「さういへば」と思い出した感じの入り方もよく、ひとが忘れてしまいそうな小さな題材が一首になっている、

二首目はキッチンを「舟」にたとえている。細長い間取りになったキッチン、そこを家族が冷蔵庫から何かを出したりするためにしずかに行き交う。他の部屋よりも狭くそれでいてキッチンはとても大切な場所だ。まるで家族が「舟」にのるようでもあり、細長い形状もうまく生かされている。

とても静かな詠みぶりなのに、松原の歌はイメージが頭の中に波紋のようにひろがってくる。

 

寝袋の紐を締めれば草原(くさはら)にもつとも小さきわたしの空間

夜遅き電車に立つひと胸元に港をうすく映してゐたり

 

一首目は山登りをして夜、眠りにつく時の歌。下句がいい。普段の生活とはちがう感覚が鮮やかに表されていて、自然の中にいる己の存在に対する敬虔な気持ちさえ感じられる。二首目はこの歌集で一番好きな歌。夜の電車に立っている人、その人の胸の辺りに港の灯りが映っている。立っている人は気づいていなくて、見ている作者だけがそれを知っているのだろう。胸という空間が小さなスクリーンのようになる夜の、ある場面が静かに捉えられている。