真鍋美恵子『羊歯は萌えゐん』(1970)
八月になると、この歌をなんとなく思い出す。「瀑布」という言葉が滝のことであるというのも、この歌で初めて知った。八月の真昼、気温が高く無風のしんとした時刻、その時に見上げた階段がまるで滝のように輝いて見えた。この階段であるが、立派な建物の大階段のようなものは想像しない。どこにでもある建物のいつも見ているような階段がそのように見えたように感じる。日常がふっと非日常に変わる瞬間を歌にしている。
エスカレーターの階段がなまなましき鋼鉄の歯となりてゐる深夜を見たり
階段の歌ではこんな歌もある。これは深夜に止まっているエスカレーターを見ている様子。エスカレーターの段一つ一つの表面がギザギザしているところを、鋼鉄の歯といっている。昼間、動いているときには気づかなかった鋼の匂いや、ぎざぎざとした断面が凶器のようにさえ見えて来る。
みづからを嘲笑ひゐたればその笑ひ鏡店のどの鏡にもある
これも何か寒々しいものをおぼえる一首だ。自らをあざ笑うような顔をすればたくさん、鏡の並べられた店のどの鏡にも、その顔が現れて見える。たくさんの自分が自分を笑うような幻が見えて来る。
平衡を保てるもののするどさに夜となりゆく湖はあり
上の句は発見でもあると思う。湖の水面は平衡を保っている。その力の鋭さを夜の湖に感じているのである。湖が結句に出て来る構成も巧である。
真鍋美恵子は河野裕子の好きだった歌人の一人だが、歌のなかに張り詰めた世界がある。歌集一冊を読みながらだんだんと息苦しくなったり感覚が緊張したりする。濃密な時間が一首一首に込められていて、日常のなかで緩んでいた神経がぴりぴりと尖ってくる。
羊歯群の羊歯は切れ込みするどくて葉間より間なく闇を産みゐる
『雲熟れやまず』の一首。下句は少し理屈めいているが「切れ込みするどくて」のところが好きだ。痛々しさと羊歯の「歯」という文字が共鳴している。