抑留に働きし炭鉱のブカチャチャ炭弟が輸入せるとふ奇跡

大建雄志郎『風の回廊』(2014)

 

作者には一回り年上の兄がいた。「シベリアに戦歴ある兄 社歴しか持たぬ弟 兄を越え得ず」と詠まれているように、兄はシベリアに抑留され過酷な強制労働に従事させられた。歳月が経ち、その炭鉱の炭を商社マンである作者が日本へ輸入することを実現させた。兄と弟をへだてていた戦争体験の溝を埋めるような奇跡であると思う。調べてみると、京都の天龍寺の一角にはブカチャチャ収容所慰霊碑が建てられているという。この歌で初めてきく地名であったが、歌によりこのようなことを知って行くことも戦争未体験者である私には重要なことである。作者の兄は無事に帰還し一家を支えたが、この歌集の中で亡くなったことが詠まれている。

 

キーとなる単語一つを訳し忘れ会場の議論わきへ逸れゆく

通訳は旨くいきたり会場の納得したる静けさに知る

 

作者が通訳の仕事をしている場面である。テレビなどでよく見かけるが、これらは通訳者側から会議の言葉の訳をしている様子が臨場感をもって詠まれている。一首目は通訳という仕事の責務を重く感じさせる一首だ。素早く適確に訳して相手に伝えるのはどれほど神経を使うだろう。また二首目は一人一人の言葉を受け止め訳していた作者が、最後にほっとしている場面。会場の静かな雰囲気をやっと感じることができやり遂げた感がある。

 

故郷に帰りたきわれと今更と言ふ妻がゐて妻が正しい

おだまりと老妻叫ぶときありてこの強さゆゑ()も生き延びき

仇討(あだうち)に出てくるやうな姓名と言はれ悩みし小学時代

町内の防犯カメラの幾台はダミーなること 役員のみ知る

 

このような面白い歌もこの歌集には出てくる。一、二首目の妻は毅然とした姿が見えて来る。従順についてくるだけでなく、あるときは夫を嗜め、諭す妻、その妻にまた作者も感謝の気持ちで接しているように感じる。また三首目では「大建雄志郎」という名前を思わず読み返した。本当に武士にいそうな勇ましい名前である。結句がおもしろい。四首目、退職後作者は地域の活動も行っているようである。「ダミーの防犯カメラ」になるほどと思う。