ブルーシートの青は食欲失くす色 三年を褪せることのなき色

齊藤芳生『湖水の南』(2014)

 

2014年の3月、故郷の福島で詠まれた歌。はっと立ち止まってしまう歌だ。「ブルーシートの中蒸れている除染土の中蒸れている種子もあらんよ」という歌もある。除染ではがした土を一つの場所にかためて、それをブルーシートで覆っているのだが、その色を見るだけで住んでいる人の心に暗い影が落とされる。青はもともと食欲を減退させる色であるが、三年も変わることのないその人工的な色がじわじわと住民を心理的に圧迫していることが伝わってくる。

「種子」の歌も、福島から離れて報道でしか様子を見ていない私にはどきっとする歌だった。汚染された土のなかにもたくさんの植物の命の種が含まれている。しかし、花を咲かせることなくブルーシートの中でじっと息を殺している。

 

除染のためにつるつるになりし幹をもて桃は花咲く枝を伸ばせり

 

こんな歌もある。桃は桜と似ていてざらざらとした木肌である。それが除染作業によりつるつるになってしまった。桃が特産物の一つである福島だが、多くの桃の木がこのようになってしまったのだろうか。原発事故によってもたらされた、ふるさとの痛々しい姿を作者は感情的に訴えるのではなく淡々と細部をみつめ詠み続けている。

 

トリミングされてますます怒りやまぬオオスズメバチを右に動かす

翼開張たしかめてのち中央に配すオオムラサキのはたたき

 

また、作者が図鑑を作る仕事に携わった歌が印象的だ。近頃、図鑑ブームだと聞いたことがあるが、この頃の図鑑は色鮮やかでリアルなものが多い。一首目はオオスズメバチの画像をトリミングし画面上で位置を動かしているところ。「いかりやまぬ」とあるからオオスズメバチが針をだして攻撃的になっている画像であろうか。迫力を感じる。二首目の「翼開張」とは鳥や蝶などの翼を開いたときの幅をいうらしい。オオムラサキの美しくひろげた大きな翅を紙面の真ん中に配置している。リアルな生き物の画像をレイアウトしながらやはり生命というものをどこまでも作者はみつめているのではないか。自然が豊かであった故郷ではそれをおびやかす状態が続いている。

 

ものさしに測りきれないものの増え おおちちの遺影笑い給わず

おさなごはまろきゆえまろきもの好み私の頭も撫でてくれたり

 

「ものさしで測りきれないものの増え」は原発事故以降の世の中の流れをふくむ表現ではないか。亡くなった祖父の写真は悲しみや怒りの眼差しで現世をみつめているのかもしれない。また二首目はふるさとにすくすくと育っている幼い命。無邪気なやさしさに尚更その命を守りたいと切に願っている作者がいる。