松村 由利子


小鳥図鑑なにゆゑ買ひしわれかともひと月経ちて思ひあたらず

田中穂波『さびしい本棚』(2011 年)

久しぶりに再会したときの「お変わりありませんか」というあいさつに対し、生物学的には「お変わり、ありまくりですよ」というのが正しい答えである。分子レベルで見れば、私たちの体は半年か一年の間にすっかり入れ替わってしまう。しかし、誰もが「わたし」という自己はずっと変わっていないと信じている。
この歌の作者は、ひと月前に買った「小鳥図鑑」を眺めながら、不思議でならない。「いったい、どうしてこんなものを買ってしまったのだろう。小鳥を飼うつもりもないのに……」。分子レベルで考えなくとも、人は刻々と変わってゆくのだ。ふいに光が射すように、何かに命じられたかのように思いがけないことをするのが人間であり、だから面白い。私もある時、ヒールの高い真っ赤なサンダルを買った翌日に、「なにゆゑ買ひしわれか」と困惑した覚えがある。不思議な買い物ばかりではない。少し前に作った歌を読み、こんなヘンな「われ」が自分の中に存在するのかと驚くことは、歌をつくる人には多かれ少なかれ、あるのではないだろうか。

「小鳥図鑑」というのがいい。「恐竜図鑑」でも「野草図鑑」でもよいが、「恐竜図鑑」だとユーモラスになりすぎ、「野草図鑑」では地味すぎる。「小鳥」という言葉の愛らしい響きとイメージが、一首にほどよい華やぎを与えている。

意識というのは、脳科学の研究テーマとして非常に興味深いもので、私たちの無意識の世界は、意識している世界よりも遥かに広大なのだ。「小鳥図鑑」を買わせた何かが潜む無意識の世界――人間存在の深みを思わせる一首だと思う。