函・表紙・扉それぞれに美しくそこを通つてからが言葉だ

岡井 隆『銀色の馬の鬣』(2014年)

 最近は古書店の前を素通りすることができないことが多い。百円均一となって店頭に積み上げられている本の中に昔買いそびれた本が出ていることが多いからである。何冊かある司修装丁の向田邦子の随筆などは、その装丁からだけでも持っている価値があると思うのだが、茶色に変色していたので三冊百円の籠に入っていた。これは猫の絵が好きな人は探してみたらいいと思う。ただし文庫本ではなく最初の単行本の方である。

掲出歌、新しく手に取った本を繙くまでの期待感を平明に歌にしている。作者は短歌だけではなく、詩も作ったり批評したりしているから、手元には大量の詩歌書が届く。中には随分と美麗な装丁のものもあるだろう。

 

この中で馬鹿らしくない新刊はこれだと指しぬきみと読むべく (「馬の題詠他」)

 

これは「馬」という字を歌の中に詠みこんで作った題詠である。「この中で/馬鹿らしくない/新刊は/これだと」までが口語で、「指しぬ/きみと読むべく」は文語である。「これだと指しぬ」が、三句と四句にまたがっていて、口語と文語を混用した造りになっている。この現代随一の歌人が、歌集『神の仕事場』(1994年刊)で口語を意識的に用いて新境地を拡げてから、すでに二十年以上の時を経た。近年は、あの頃よりもさらに口語化の度合が高くなっているように思うが、作品の一部を紹介しながら、先日私の地元の十幾人かの前でこの歌集の話をしたところ、おもしろいし、もっと読みたいという感想を言う人がほとんどだった。紹介したのは、次の歌を含む一連である。

 

あの小さな竹群の向う側なのだ 焼けて亡んだ筈なのに<()る>

 

戦時下の名古屋はいやに()()ましくよみがへるのに 淡きは今日だ

 

この二首は、「武蔵野と名古屋のあひだで」二十首の中から引いた。一首目は、古い写真を見ているのかもしれない。続けて「名古屋旧景」より。

 

古井(こい)の坂のぼりて父母(ふも)のおくつきに至らむとすもやよひひるすぎ

飯田町より平田(へいでん)町へゆくところ山口町見ゆ(市電はあらず)

杢太郎住みしとぞいふ()平町(へいちやう)界隈なんかまたたくま過ぐ

 

戦前の空襲で焼かれる前の街の姿が、いまそこを通っていると思い出されて来るのである。町の名前は記憶の索引で、古井の坂、飯田町、平田町、山口町、武平町と確かめていくうちに、影のようなものが現実の景色の上に重なってくる。そこで「戦時下の名古屋はいやに生ま生ましくよみがへるのに」ということに、なるわけである。こうして追憶のむなしさと淡い憂愁の気分とがないまぜにされて、作者は人生暮れ方の感を深めてゆくわけなのだろう。「武平町界隈なんかまたたくま過ぐ」というのは、タクシーに乗っているのかもしれない。本文で三番目に引いた歌の「あの小さな竹群の向う側」という言葉が持つみごとな喚起力は、「竹群」が過去と現在の間をつなぐ扉となっていることによる。見えないからこそ、ありありと<在る>。岡井隆の生涯の文学活動は、ここで「竹群」としてあらわれているような、想像力を刺激する詩的な仕掛けの創出にかけられて来たと言えるもしれない。

 

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