首ひとつ抜ける一瞬セーターはまだ来ぬ春の夕焼けを見す

               佐々木千代『菜の花いろ』(2008 年)

 

今日は立春。しかし、まだまだ寒さは続く。

作者の「セーター」は、「春の夕焼け」を思わせる淡い暖色なのだろう。うすいオレンジだろうか、サーモンピンクだろうか。色の名前を詠い込むと、一首の印象が鮮やかになる。しかし、この作者はあえて色を限定しないことで、読む人にさまざまな夕焼けを想像させることに成功した。

巧さはそれだけではない。上の句を読んだだけでは何のことか分からず、「セーター」が出てきて、服を着替えるときの歌だと合点がいく。着るとき、脱ぐとき、どちらだろう。すぽんと「抜ける」感じは脱ぐときの方により強い。また、着る前にはセーターの色が作者の目に入っているはずだ。着ているうちにセーターの色を意識しなくなった作者が、脱ごうとして「あ、夕焼け!」と嬉しくなったのだと解釈した。

短い言葉でこれだけの状況説明をするだけでなく、「夕焼け」を「まだ来ぬ春の夕焼け」としたところが心憎い。思いがけなく暖かみのある世界を「一瞬」味わった作者だけれど、セーターを脱いだ寒さにぶるっと身をふるわせる。本当の春はまだ先だ。結句の「見す」も、セーターを擬人化していて、とても面白い。「セーターさん、ありがとう!」とでも言いたい作者の弾んだ気持ちが「見す」に表れている。

作者は丁寧に暮らしている人だと思う。日々の小さな出来事に、喜びや美しさを発見する心。それも詩をつくる才能である。大所高所から政治や社会を見ることも必要だが、こんなささやかな発見が、私たちの日常を彩り、潤してくれる。