松村 由利子


繭のような白き時間に頭下げお椀に受ける花びらごはん

          池田幸子『繭のような白き時間』(2015年)

 

満開の桜の下で、ままごとをした時間が私にもあった。この歌は、幼い女の子を相手に、作者が至極まじめにままごとをしている場面であろう。女の子の姿について何も表現されていないのに、きちんと樹下のシーンが浮かび上がるところが巧い。

「花びらごはん」は、花びらをごはんに見立てたと読んでもよいし、何も入っていないお椀を「どうぞ」と渡されたとき、たまたま風に吹かれた花びらが舞い込んだ、と読んでもよい。私は後者としたい。

見えないごはんを盛り、見えない人に「あら、お帰りなさい」なんて声をかける、ままごとの時間は何だか神聖な儀式のようだ。お人形遊びにせよ、ままごとにせよ、その中でリアルに演じて楽しめるのは、二度とない「白き時間」である。作者は、その時間を心底尊く思い、「繭のような」とさらに美しく形容した。「まあ、どうもどうも……」と深く一礼して椀を受け取る作者の所作も美しい。

季節も時も移ろいゆくが、幸福な瞬間が歌という形によって、一幅の絵となった。