松村 由利子


朝戸出に鞄を重く感じたり「鎧が、けふは」の木曾殿おもふ

          沢田英史『さんさしおん』(2007年)

 

会社勤めをしていたころ、何度となく平家物語の一節を思い出した。この一首に詠い込まれた「木曾の最期」の場面である。

劣勢だった木曾方は追い詰められ、ついに義仲とその側近、今井四郎兼平の二騎だけになってしまう。その状況で、武将である義仲が、つい「日ごろは何ともおぼえぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや」と弱音を吐く。ふだんは何とも感じない鞄なのに「今朝は妙に重たいな」と思ってしまう朝、義仲の言葉がリアルに感じられた。

だから、この歌を読んだときには、同志を見つけたようで大変うれしかった。しかし、高校時代に古文の教科書で習っただけの平家物語の一節を、なぜこうも生き生きと思い出すのだろう。私は決して優等生ではなく、古文もそう得意ではなかったが、この時代の言葉の躍動感が心地よかったのだろう。「首ねぢ切つて捨ててんげり」だとか、「よつ引いて、ひやうと放つ」といった勢いのある言葉は、意味を超えて私を魅了した。

「木曾の最期」を教科書で習った人は多いから、きっと私やこの歌の作者以外にも、書類や資料の詰まった鞄を持ち上げ、「日ごろは何とも……」と義仲を思い出す人はいるはずだ。「朝戸出」という万葉の昔からある言葉と「鞄」を組み合わせ、現代のサラリーマンの悲哀と、時代の変わり目に生きた義仲の最期を重ねてみせた一首の、何と妙味に富むことだろう。