松村 由利子


みづいろの楽譜に音符記されずただみづいろのまま五月過ぐ

          荻原裕幸『青年霊歌』(1988年)

 

歌はしらべであり、イメージであるから、意味は必ずしも通らなくてよい。この歌も、「みづいろ」と「五月」の美しい響き合いを楽しめばよいのだと思う。

「楽譜」は、本当であれば音符が記されていて、楽曲がそこに存在するはずだが、この「みづいろの楽譜」には何も書かれていないという。作者が五線譜の意味で「楽譜」と表したと解釈できなくもないが、記されていたはずの音符が脱け出し、五月の空へ飛んでいってしまったような、そんなイメージを私は味わった。

五月の空のさわやかさは、独特である。やわらかな新緑の美しさと相俟って、「みづいろ」は青春そのもののように感じられる。「みづいろのまま」は、青春の永遠性のようにも思えるが、やがて人生の楽譜には黒々と音符が記され、楽しいメロディーが流れることもある一方で、重苦しい和音が長々と響きわたることもあるのだ。