さいかち 真


彗星のほろびつつ曳く長き尾のながき一夜をあぢさゐ白む

高野公彦『高野公彦作品集』所収『雨月』(1988年)

 作者の歌には、白秋、柊二と受け継がれた近代浪漫派の血統が感じられる。「彗星のほろびつつ曳く長き尾の」という甘美な上句は、あえて解説すれば序詞的な修辞であるが、読んでもすぐにそれを序詞的というように感じさせない。彗星の白い光と、白「あぢさゐ」の色とが照応する心憎いほどの技巧の冴えが見える歌である。1986年に前年末からハレー彗星が接近しているから、彗星の歌として紹介した方がいいのかもしれないが、「あぢさゐ」が咲くのがだいたい五月から六月にかけてだとすると、これは彗星が飛び去ったあとの歌である。一連五首の冒頭は、次の作品である。

 

冷えて照る四葩(よひら)の花よ西の空あさぎに(あけ)の燃えまじるころ

 

最初に読んだ時は、「四葩の花」が、何だかわからない。それで次の歌をみると「あぢさゐ」だとわかるという仕組みになっている。「四葩の花」と言った時に、視線は細部に注がれている。それが下句では遠空に視線を移している。一連五首目は、次の歌である。

 

あぢさゐの花の内部の青淵にしばし泊てゐむ旅ゆくみづは

 

ここまで来ると、視覚を超えて作者の想像力は、花の内側まで浸透する。「あぢさゐ」の花は、「みづ」の宿と見立てられるわけである。花の名前の表記が、「あぢさゐ」でなければならないのは無論の事、「水」も「みづ」でなくては「あぢさゐ」のなかに溶け込めない。高野にとって旧仮名表記の玲瓏たる様式美は、たとえてみるならウィリアム・モリスのデザインのように、生を享受し、美的なものを自己存在の欠かせない一部として生きる思想を保障するものなのである。