さいかち 真


艦砲射撃坪九百発の読谷村ハイビスカスは芯立てて咲く

奥原宗一『幾山河』(2015年)

               ※「読谷村」に「よみたんそん」とルビ。

 作者は大正十二年生まれ。木村雅子の序文によれば、著者は昭和十九年に衛生兵として徴用され、ソ満国境の部隊に配属されたために、敗戦後シベリアに連行された。さらにその後中共軍に強制留用されて、国共内戦により野戦病院要員として中国全土を転々とし、帰国したのは昭和二八年であった。そうした厳しい戦争体験を持つ方の遺歌集である。師事した太田青丘から何度も歌集上梓をすすめられたが固辞していたものを、「卒寿のお祝いに」ということで、ようやく重い腰を上げたところで亡くなったため、次女の太田綾子さんが残りをまとめた遺歌集である。掲出歌は沖縄戦を詠んだものだが、作者は戦争の犠牲者を追悼する歌を終生作り続けた。

 

元戦士われは一日揺れてをり人民の軍が人民を撃つ

 

これは天安門事件の時の歌。無理に共産軍に従わせられたとは言いながら、衛生兵の任務は、自分の仕事に意義を見出せなければできるものではない。

 

ひたと背に張りつく眼あり耳があり寒々思ふ紅軍の頃

 

脱走しないように不断に監視されていたのであろう。敗戦後も戦闘に従事させられた日本軍の元兵士が出てくる『蟻の兵隊』というドキュメンタリー映画があったが、奥原宗一氏の事績についても、可能なかぎり掘り起こして後世に語り伝える必要があるだろう。

 

胸に置き眠れば追はるる夢ばかり罪科の深きわが手か知らず

 

こういうすぐれた境涯詠がいくつもある。無名だけれども一流の歌人であった作者のような人が、戦後の日本の短歌を支えて来たということを、われわれは忘れてはならない。