冨尾捷二『満州残影』(2012年)
作者は1938年、旧満州大石橋生まれ。関東軍が立ち去った街に、ソ連軍、国民党軍、八路軍と次々占領軍が入って来る。敗戦国民の日本人は肩身が狭く、帰国の時を待ちわびながら飢えにさらされた。生きるための必要に迫られて、子供たちも占領地でロシア語の初歩を学んだ経験が、この歌を作らせた。ステパンは、捨てパン。アサリは、残飯をあさっているのだ。フローニンは、浮浪人。全財産を置き捨てにして避難して来た人々は、誰もが浮浪人と変わらないところに追い込まれた。痛いユーモアである。
アレクセイ・フハイノヴィッチ・タイセーエフ突きつけてくるトカレフ拳銃
マレンコフ、ベリヤいつしか忘れゐつカラシニコフは止まず谺す
「フハイノヴィッチ」は「腐敗」を冠している名前だろう。「タイセーエフ」は「大勢順応」の「体制」べったりというような、長いものには巻かれろというようなニュアンスを込めているだろう。官僚が腐敗して国家を食い物にすると、国家が亡ぶ。二首目は、スターリン体制下の畏怖された名前よりも機関銃のカラシニコフの名前の方が響きわたっているという痛烈な皮肉。
父の最期みとりし人はシベリアより帰国果たせる上官なりき