さいかち 真


夏山の嶺かさなりてうちつづくみづうみべりに妻子らとゐる

高田浪吉 『高草(たかがや)』(昭和二一年十月刊)

 この歌は、昭和十四年から十九年までの作品を収めた歌集『高草』の、昭和十四年の章にある。掲出歌は、「富士西湖をわたる」一連五首のうちの三首め。この歌集を見ると、作者は方々に旅行をして歌を作っており、戦時中だからといって、誰もが旅行ひとつせずに節倹生活をしていたわけではないことが、よくわかる。西駒ヶ岳に登った一連三十首などは、日の出を見て子供らが万歳を叫ぶ歌があったりして、明るい調子のものである。

もっとも戦争が進行するにつれて、金策の歌や、著書が刊行できない(作者は著述で生計を立てていた)悩みの歌が出て来るようになって、旅に出ても心から楽しめず、歌集末尾の昭和十九年、五人家族のうち二人の女の子が先生に引率されて学童疎開することになって、ついに親子はばらばらになってしまう。後記によれば、そのあと昭和二十年五月二十五日の空襲で、作者の渋谷の家は、多くの書物とともに焼けてしまった。ちなみに当時の渋谷は、まだ郊外の雰囲気を持つ所だった。

試みに、高田浪吉が旅をした場所がわかる章題を、昭和十四年と十五年の分だけ書き出してみることにする。地味な場所がたくさんあって、どうも浪吉は、従来の歌枕にないような場所を地図を参照しつつ自分で探して、小旅行とハイキングを試みていた形跡がある。括弧の中は、歌の中にあがっている山や湖の名前である。歌も何首か拾っておく。

昭和十四年 下野国唐澤山(越名沼・こいなぬま、三毳山・みかもやま)、峰の薬師(奥相模、明星山)、木曽三留野(みどの、木曽川)、賤母御料林(賤母山・しづもやま)、王瀧村里宮、三浦(みうれ)ダム作業地(玉瀧川)、氷ヶ瀬(こおりがせ)、中央線車中詠、西駒ヶ岳登山(☆)、片瀬海岸、富士西湖。

 

☆  岩の上にゐる雷鳥に近づきてわが息ひそまり見も飽かなくに

 

昭和十五年 五日市町付近、大磯、鎌倉、信濃数日、諏訪郡宮川村、水戸、日立鉱山、日立海浜、上野公園、秋川渓谷付近、相模六国峠越え(☆)、戸隠山小吟、戸隠を下る(☆)、柹蔭山房にて、覉旅小吟(信濃、甲斐)、信濃富士見村(釜無川、八ヶ嶽、富士見高原)、鶴川村。

 

☆ 乳児(ちのみご)は妻が背負へる低山路をさな児二人歩むがのろくて

☆ 飯綱の山裾原にたまる池風の吹きゐて水面(みのも)光れり