わが恋に汁椀ほどのみづあかりあれば朝夕机辺にひかる

上村典子『天花』(2015年刊)

 歌集名の天花(てんげ)は山口県の地名である。掲出歌は、身近な異性を大切に思う気持ちの明るさを「汁椀ほどのみづあかり」と言った。なんとも地味な、生活のなかで持続する愛情である。その人のことを思うと、日常の机辺がほんの少しだけ明るくひかるような気がするというのだ。そういう感情の動きが「恋」なのだから、たとえば夫への思いだとしてもそれを恋と言ってかまわないのである。

 

懸命に車椅子駆くる徒競走少年少女の二の腕勁し

 

作者は総合支援学校に勤務している。再編成で「肢体・知的・聴覚・視覚・病弱の五障がい対応となった勤務校」と詞書にある。ずいぶん無理な統合をしたものだと感じられるが、当然職員の勤務内容は過大なものとなっているだろう。覚えなければならないスキルが膨大なものになるからである。そういう合理化と並行して、現在の学校現場では、しばしば煩瑣な書類作りが大量に課される。たとえば何にでも起案書をつけなければならない。役所のやり方を学校に降ろしたためにそうなったのだが、今の時代ぐらい学校に対して役人的な管理の仕方が徹底した時代はない。世間の人たちは、そんなことを少しも知らないのである。しかし、やはり教員にとっては、生徒と接している時間が一番なのだ。どんなに疲れていても、生徒と接している時には元気が湧いて来るということが、次のような歌からわかる。

 

クリスマスソングに少女の四肢うたふこゑはなけれど破顔一笑

 

口のきけない子が、全身で歌をうたっている。声は聞こえないけれど、たしかに彼女は体でうたっているのだ。ふだんから種々のスキンシップで子供たちとつながっているから、見ただけでよくわかるのである。