松村 由利子


いまもなほ左脚を軸に立ちあがる突撃に移るときのごとくに  

        関広範『いちぜんめし』(2015年)

 

戦争を体験するというのは、こういうことなのだな、と身が震える。作者は1922(大正十一)年生まれ。今年九十三歳になられる。そんな年齢になって「なほ」、軍隊で教わった突撃の姿勢を体が覚えているというのだ。

今年八月に出版された『いちぜんめし』には、戦場での過酷な体験も多く詠われているが、私はむしろ日常のふとした瞬間に戦争の記憶がよみがえるという歌に揺さぶられる思いだった。

 

「展開」といへることばを聞くだけに日々の戦さを思ひ出すかな

吊し置くわれの作務衣のうごくときいつしゆん敵の兵かとおもふ

旨い物食ひつつお前まだ生きてるのかといふ声のする

戦ひを鎮めるよりもその後をしづめる方が余程むづかし

 

「展開」は、数学でもコンピュータ関連でも使われる言葉だが、軍事用語でもある。最大の戦闘力を発揮するために兵力や武器を配置することを指す。「展開」と聞いて、とっさに、その緊迫した戦時の状況を思い出す作者であるから、吊るしておいた作務衣が風で揺れても、はっと身構えてしまうのである。そして、おいしいものを食べていても、亡き戦友たちの声が聞こえてくるという。

作者にとって「戦ひ」の「その後」を鎮めることのできなかった七十年であったことを、私たちは重く受け止めなければいけない。恐らく、同じ思いを味わっている人はまだまだたくさんいるはずだ。「国際貢献」などと呼び方が変わり、通常兵器によらない攻撃が行われるようになっても、本質的にはかつての戦争と変わらない。作者が絞り出すように詠んだ歌の数々を反芻し続けたい。