松村 由利子


ヨカナーンの首もなければ古伊萬里の皿はしづかに秋風を盛る 

        照屋眞理子『夢の岸』(1991年)

 

本歌取りというのは実に奥が深くて、三十一文字という小さな器に大きな物語を盛ることができる。

歌の作者の前には、見事な古伊万里の大皿が置かれている。「何を盛ろうかしら、葡萄や梨も悪くないけれど……」とあれこれ考えた末だろうか、この皿に盛るのに最も相応しい「ヨカナーンの首」もないのだから、もう何も載せず、秋風を盛ることにしましょう――そう思って作者は、サロメにも似た涼やかな微笑を洩らすのである。あるいは、古伊万里の皿も幻かもしれない。

見事な踊りを披露した褒美に何がよいか王から問われ、預言者ヨハネ(ヨカナーン)の首を所望したサロメの話は、舞台で演じられるだけでなく多くの美術家によって描かれてきた。けれども、ヨカナーンの首を見せ消ちで表現し、「秋風」で読者を少なからずぞくっとさせるこの歌ほどに、妖しく上品な仕上がりになっている作品はないように思う。

「首も」の「も」、「皿は」の「は」といった助詞の用い方の巧さにも魅了される。細部まで神経の行き届いた、実に美しい一首である。