松村 由利子


本棚をずらせばそこに秋風のベーカー街へ續く抜け道

       秋谷まゆみ『薔薇殺法』(1993年)

 

殊更に「紙の本」などと呼ばれると何だか貶められているようだけれど、電子書籍にはない良さもたくさんある。「本棚」に収めることもその一つだ。並んでいる背表紙を眺めれば、自分の心のありようが一覧できる。

本棚から一冊抜くと、奥には薄暗くて埃っぽい空間がある。ちょっと思いついて手を延ばすと、あるはずの側面には触れず、思いがけず冷たい風が吹き込んでくるではないか! その風こそ、われらがシャーロック・ホームズの住まうロンドンのベーカー街へと続く抜け道から吹いてくるものに違いない――。

この一首を読んだときの心地よさを何と表現したらよいのだろう。子どものころから愛書家であったに違いない作者の空想の楽しさ、上質な機智が、「本棚」「秋風」という名詞をこの上なく輝かせている。本のなかに広がる世界のみならず、本棚の奥に潜む不思議な空間を想像し、そこに「秋風」を配したセンスには舌を巻く。

「玲瓏」に所属するこの作者の一首を、塚本邦雄も大変に愛した。誠に塚本好みの歌で、ジャック・フィニィのSF短編のような味わいに魅了される。電子書籍が増えつつある現代において、確かな手ざわりのある本と本棚の魅力を改めて伝える歌でもあろう。