さいかち 真


海岸山観音寺の朝ぼらけ空々くろろんと啼くは誰が子ぞ

陀仙(辻潤) 観音寺歌碑

 「海岸山観音寺」は、「かいがんざんかんのんじ」、「啼くは誰が子ぞ」は、「なくはたがこぞ」と読む。観音寺は、宮城県気仙沼の有名な古刹で、「和銅年間(709年)藤原宇合が特命大将軍につき蝦夷勢を鎮圧し、その首塚を南流山に建立したのが始まりという。」とお寺のホームページにはある。掲出歌はこのホームページで確認したのであるが、観音寺に辻潤の歌碑があるということを、私は松尾邦之助の本(『ニヒリスト 辻潤の思想と生涯』昭和四十二年刊)の口絵写真で知った。辻潤は、長男の一(まこと)を連れて昭和三年にパリに渡った時に「観音経」を携行したそうだから、観音の名の冠せられた寺には縁があるわけである。

年譜をみると、辻潤は昭和九年五十歳の時に石巻の松厳寺の住職に招かれて滞在し、観音寺には一週間滞在している。「空々(くうくう)くろろん」と鳴き声を聞きなしたのは、むろん「般若心経」の「空」を踏まえた駄洒落である。「くろろん」という表記がとぼけていて、飄然とした味を出している。歌碑には、名前ではなくて「陀仙」と号が彫られており、碑の裏側には辻の略歴が彫られているそうだ。気仙沼には旅館海光館にも歌碑があり、

尾ノ崎の海光館のあねこらは呼べど返事をせぬアネコかな  陀仙

という歌が歌碑になっているようだ。専門歌人ではないし、読み捨てであるが、いかにも辻潤らしい。おそらくは酔っ払いに宿の方でも愛想をつかしているのだろう。井上ひさしではないので方言では書けないが、「あのおじいさん、和尚さんの所に来ている人だけど、もうあんまり飲ませすぎない方がいいんじゃないかしら。お金もなさそうだし。」などと帳場では噂をしているのだろう。本人もあまり歓迎されていないのはわかっている。自分が少々軽んじられているということを、ここではおもしろがっているのである。辻が持ち歩いていた尺八は、芸人の持つものだ。当時旅芸人は木賃宿に泊まるのが相場だった。結句で「アネコかな」と言って女性に甘える気分もある。へなぶり歌だけれども、辻の独特の草書でこれを書いたら、それなりに見えただろう。