報道がテレビに移る過渡期なる四半世紀を新聞にあり

       島田修二『渚の日日』(1983年)

 

作者は1953年、読売新聞に入社し、50歳になるのを機に辞めた。26年間の記者生活だった。この歌の収められた歌集は、退社後まもなく編まれたものである。

島田が辞めた70年代後半、新聞はメディアとしての圧倒的な影響力、速報性を誇っていた時期を過ぎ、テレビに押され始めていた。確かにこの時期、カラーテレビの普及率は100%に近づきつつあった。しかし、「過渡期」という島田の慨歎は、かなり時代を先取りしたものだった。というのも、新聞は80年代以降も鈍い動きながら販売部数を伸ばし続け、各紙の合計部数のピークは1997年だったからである。

1984年に新聞社に入った私は22年余り記者として働き、「報道がネットに移る過渡期なる四半世紀を新聞にあり」という感慨を抱く。けれどもそれは、既に在職中に顕著になってきたことで、島田のような先見性に基づくものではない。

彼の亡くなった2004年、私はデスク業務に追われ最も忙しい時期だった。島田も辞めたときデスクだったのだなぁ、一度でいいから会ってみたかった――秋の夜更けには、そんなことを思う。