秋のおもひ堪へえぬ時は朽縁に出でて狭庭の石にもの言ふ

吉井 勇『寒行』(昭和二十一年十月刊)

  ※「朽縁」に「くちえん」、「狭庭」に「さには」とルビ。

この終戦翌年に刊行された薄い仙花紙の歌集には、石の歌が多い。私は以前に吉井勇の『流離抄』の歌について短い文章を書いたことがあるが、そこでの吉井は、烈々たる憤怒をあらわして、曲学阿世の徒を指弾していたのだった。この歌集に収録されている作品は、昭和十八年十一月から昭和二十年四月までの作品によって構成されており、後記をみると、この時期の作者の心境が簡潔な言葉で要約されている。
「思えばこの間余は安住の地を得るに惑い、京洛に在りても北白河より岡﨑へ居を移し、更に戦禍の及ばんことを惧(おそ)れては、遠く北陸の辺陲(へんすい)に奔竄(ほんそ)して、そぞろに流離の苦を嘗(な)めたり。かくして一身の変転を顧る時、この歌集に対して覚ゆる作者としての感慨は、到底他のもの(注※歌集の事)と同じからず、むしろ愴然として長く見るに堪えざらんとす。」(※旧仮名表記は新仮名表記にあらためた。)
石の歌をほかに何首か引く。「眠られぬ夜」の一連から。

 

世のくだちやうやく馴れぬ石を見て寂しむことも稀になりぬる
※「稀」に「まれ」とルビ。
黙しゐることの苦しさ夜半に起きて庭の石とももの言ひにけり
※「黙」に「もだ」、「夜半」に「よは」とルビ。

 

一首め、「くだち」は終わりに近づくこと。戦争の勝敗だけではなく、当時は日本の国と文化のすべて壊滅し、没落するような実感があったであろう。疎開生活の苦難を経て、聞こえて来る戦意高揚の言葉は、吉井に言わせればすべて虚偽である。政治家だけではなく、とりわけ文化人が許せない。どういう人たちなのか、吉井はよく知っていたからである。
石は、人間のように嘘をついたり、裏切ったりしない。石との対話によってしか慰められない戦争末期の孤独な作者の心中を思うべきである。だから、吉井勇の歌は、後の時代の孤独な読者のこころに深く訴えるものを持っている。