さいかち 真


地湧の菩薩として僧俗和合で〔魔の所為〕を砕滅する

森山光章『句集〔法華折伏破権門理〕、喜悦のみがある』(2012年刊)

 句集なのだが、読んだ感じは自由律の短歌である。だから、私はこれを短歌としてここに取り上げることにする。振り仮名がすごい。「地湧」に「ぢゆ」、「菩薩」に「ぼさつ」、「僧俗和合」に「そうぞくわがふ」、〔魔の所為〕に「だうりなきいま」、「砕滅」に「いけない」とある。定型を意識して読みを書いてみると、「ジユノボサツ/トシテ、ソウゾク/ワゴウデ、ド/ウリナキイマヲ/イケナイスル」となる。句またがりが多いが、ほぼ短歌型式として読めるであろう。〔魔の所為〕に「だうりなきいま」と振り仮名をつけて、 (道理なき今)と読ませるのは、異端の俳人らしい諧謔ではある。ここでいう〔魔の所為〕に、何を代入して読むべきか。この作品集が出された当時は民主党政権だった。しかし、今読むとまたちがったふうに読めるかもしれない。

ただし、「砕滅」に「いけない」と振り仮名がつけてあるのは、普通の否定の意味ではなくして、変態のおじさんがワルイことや、「イケナイ」ことをしてしまう、というニュアンスの、不道徳かつ品の悪いひねりが加えてあるのであって、これを暴力的な実力行使礼賛というような方向で解釈してはいけない。

この句集は、一集全体がアンチ・グローバリズムのアジテーションの呪言に満たされている。政治的には両手をぐんと拡げて左右にいっぱいいっぱいで、常識の範疇の外にあり、国際金融資本主義によって形成されている世界秩序を作者は否定しているのだから、ちまちました国内の政争の向こう側を睨んでいる。ふだんは塾の先生か何かをしているらしい作品も見えるが、隣の人には自分が何を書いているかは口外しないというタイプではないかと思う。集中には「頽落」という『存在と無』のハイデッガーの訳語が、頻繁に出て来る。ブランショへのオマージュもある。作者は相当な知識人だろう。だが、老いの現実は「おむつ」や、「失禁」というあられもない事態を身辺に呼び寄せているようなのだ。

〔宇都之とは茶番なり〕、売国の狗を血祭する

「血祭」には、(紙パンツ)という振り仮名がつけられている。だから、あくまでも「売国の狗を血祭する」のは、諧謔の精神の旗印のもとにおいてである。〔宇都之〕に「このよ」、「茶番」に「おわらひ」、「売国の狗」に「ばいこく」の「いぬ」、そうして「血祭」に、括弧で(紙パンツ)とルビが付してあるのだ。〔コノヨトハ/オワライナリ〕、バイコクノ/イヌヲカミパン/ツスル。イヌと、紙(噛み)は縁語なのだろう。そう言えば、最初に掲出した作品の「地湧」には「自由」という語が、掛けてあるかもしれない。

〔洗脳〕に埋没になるメデイアの狗肉を焙する 夜

この作品も、ものすさまじい振り仮名がつけられている。〔洗脳〕に「せんなう」、「埋没」に「くせ」、「狗肉」に「よいこ」、「焙」に「すきすき」、「夜」に「よる」とある。センノウニ/クセニナルメディ/アノヨイコ/ヲスキスキスル ヨル。メディアの言語に洗脳された良い子の言論人が、犬の肉をしゃぶしゃぶして食べているよ、というような意味だろうか。または、良い子となってメディアの言語を「すきすき(しゃぶしゃぶ)」して食べている人々を諷したものか。「良い子」を「すきすきする」というのは、性的なニュアンスも含んでいるだろう。このあたりの陋劣かつ猥褻な発語への嗜好は、江戸川柳のバレ句を読んだことがないと、わかりにくい趣味かもしれない。