公園のふん水に立つ尺のにじわがよろこびもそれほどの事

正宗敦夫『正宗白鳥 文学と生涯』(後藤 亮著・昭和四一年刊)より

正宗敦夫は、小説家の正宗白鳥(忠夫)の弟である。国文学の研究者で、「万葉集」の語彙についての辞典などは、今でも研究者の座右の書ではないかと思う。単行の歌集がないので、正宗文庫を管理しているノートルダム大学の学生さんなどにまとめてもらえたらありがたい。兄の白鳥は、しばしばけんもほろろの突き放した物言いをすることで知られた人だが、掲出歌も、多少そういう兄と似かよった気質を感じさせる。それでも一尺の虹はかかっているのだから、何ほどかの華やぎはあるわけである。営々と学問にいそしんだ人らしい自己抑制の感じられる歌で、最近の何でもプレゼンテーションをもとめられる時代の風潮とは、真逆の姿が、とても清潔に感じられる。本来学問というものは、こういうタイプの人によって担われて来たのである。

思潮社から出た後藤亮の本には、兄の正宗忠夫が弟の敦夫にあてた手紙が収載されている。明治三十二年の元旦の手紙には、忠夫(白鳥)の自作の短歌が十一首書かれていて、中には香川景樹の歌が二首、「最感ぜし者」(最近最も感動したもの)として引用されていたりする。兄弟そろって景樹の歌の愛読者だったのである。兄の忠夫(白鳥)の歌は、次のような桂園の影響があるものである。

立のぼる烟にすらも知られけり鄙の住居の長閑かるをば (田家煙)   忠夫

天つ日の光得がたみ徒らに今歳も泣きて暮れにけるかな (歳暮述懐)

忠夫は二十一歳、敦夫が十九歳の時の歌である。年頭の抱負をのべた手紙の文面は、明治の青年らしい気概を感じさせるものでおもしろい。少し写してみよう。

「何とか此(この)一年は有益に、清く送(り)たき物に候。御身も勉めて怠らざれ。人間は働きに生れしなり。寧(むし)ろ苦しみに生れし也。楽計(らくばかり)するは人間に非(あら)ずと存じ候。ドウカして人間ラシキ生を送りたき者に候。(生活上より云ふに非ず。錦衣玉食するも豚は豚なり。今の富豪、相場師、大臣、博士、此等(これら)の者は人間に非ず。餓死するもエライ人はエライ人也。人間は心こそ最(も)重んずべけれ)」(正宗忠夫から敦夫宛書簡 引用に当たり読点を句点に改めた。)

などと書いてある。明治三十二年の世相を諷して言ったものたが、なかなか痛烈である。この時期の正宗兄弟の歌を掘り起こせば、明治時代の桂園派の系譜の歌のひとつの姿がわかる筈である。