松村 由利子


みごもりのとまどひ深しフレスコに横顔みせてマリアよマリア

       水谷文子『齶田』(2004年)

 

歌の「フレスコ」がどんなマリア像なのか分からないが、「みごもりのとまどひ」とあるので、大天使ガブリエルから受胎告知されたときのマリアと読んだ。聖書のなかで最もよく知られたエピソードであり、ヨーロッパの画家たちが好んで描いたモチーフの一つである。

描かれたマリアとしては、磔刑のイエスの傍らで悲しみに暮れる像も多い。しかし、聖霊によってみごもるという奇跡を告げられて、驚き怪しみつつも信仰によって受け容れようとする心の動きが非常に人間的でドラマティックであるため、この場面もよく描かれたのだろう。

作者はクリスチャンである。時に信仰が揺らぐこともあったのかもしれない。そんなとき、一人の弱い人間であったマリアの深い戸惑いと受容が描かれたフレスコ画は、何よりも自分にとって慰めであり、励ましであったのではないだろうか。結句の「マリアよマリア」には、神への呼びかけとは異なる、温かみに満ちた響きが感じられる。

降誕節に入ると、日曜学校の子どもたちはクリスマスの聖劇の練習に励む。マリア役の幼い女の子が、受胎告知の場面であどけなく言う。「まあ、どうしてそんなことがあり得ましょう。わたしには夫がありませんのに」――自分が聖劇に出ていたころは何とも思わなかったが、高校生くらいになってこの台詞を聞くと、何とも居心地が悪いような照れくさいような気持ちだったのを思い出す。