さいかち 真


白髪薄夕日に燃ゆる荘厳を息つめてみつつすべもあらめや

木俣修 『冬暦』(昭和二十三年七月刊)

  ※「白髪薄」に「しらがすすき」と振り仮名。

木俣修というと紳士のイメージが強かったのだが、歌集『冬暦』に接して、私は根本的にその認識を改めなければならないと思ったのだった。歌集『冬暦』には、敗戦後の日本に生きる者の激情がほとばしっている。粗悪な花仙紙に印刷された、全部で一八六ページの歌集には、痛憤と惨苦の文字が刻印されている。

掲出歌の下句、「すべもあらめや」というのは、どうすることができようか、何をなすすべがあるというのか、というような意味。冬枯れの白い薄原が、夕日で真っ赤に染まり燃え上がる様子を、息をつめてわたしは見つめている。荘厳な滅びの光景のとてつもない美しさがある。灰燼に帰した国土に生き残った者の、無所有の覚悟のようなものが、この歌にはあらわれている。

「巻後小記」には、「きびしい現実との対決なくして歌というものを生かしてゆく道はもうないだろう。そしてその対決にまで自らを駆り立てるべき主体の確立なくして歌人というものはもう成り立たないであろう。行路はいよいよ険阻である。」とある。時は第二芸術論の時代であった。戦争の疲労も癒えぬうちに、残された渾身の力をふりしぼって言葉を発しようとしている作者の姿が、ここにはある。前後の歌。

 

いづくよりともなく来る水は灰燼にしみわたりゆき音さへもなし

ひたぶるに地も空もくらき夜(よは)にしてその惨忍は遂げにけむかも

 

二首めの歌、「その惨忍」とは空襲のことを指しているのだと思う。これは占領下の検閲を意識した抑制した表現でもある。もう一首。

 

こころ粧(よそ)ひて混沌(カオス)のなかをゆくことも八十日百日(やそかももか)と経(ふ)れば苦しも

 

まるで暗闇の中を歩いているような日々、ということだろうか。真っ暗な焼け跡を歩いている現実と心象の暗闇とが重ね合わされている。これも相当に言論にまつわる抑鬱感情が表現されている歌だと思う。敗戦を受けて、荒正人のような人たちは「第二の青春」と言って快哉を叫んだが、作者はむしろ与えられた「自由」の「混沌」に苦しんでいて、「こころ粧ひて」、つまり仮面をかぶって生きなければならない現実に直面し、苦悩している。この時点における、こうした感性の位置取りの意味を、われわれはまた考えてみる必要があるだろう。つまり、危機が再燃している時代にアクチュアルによみがえって来る歴史として、これらの作品にまつわるもろもろの事象があるのではないか。このあたりの作品に一首一首注釈のついたものがあったら、私は読みたいと思った。