卵黄を白パンをもて拭うときよべ見し夢を忘れてありぬ

島田幸典『駅程』(2015年 砂子屋書房)

作者は京都大学大学院法学研究科教授で、専門は比較政治学である。高校在学中に石田比呂志に師事して「牙」で作歌を始め、同会解散後は阿木津英たちと「八雁」を創刊した。

掲出歌は朝食の光景であろう。目玉焼きを食べ終わると皿に崩れた黄身が残っている。それをパンで拭うという。それも固いフランスパンや焦茶色のトーストなどではなく、丸みを帯びた真っ白いパンで。黄色と白の色彩の対比が極めて鮮やかな印象を与える。また、ねっとりとした卵黄とふわふわしたパンとの感触の対比も感じられる。皿に残った卵黄の汚れを真っ白いパンで拭えば皿は再びまっさらとなり、まるで一日の始まりを祝福するようだ。そして、この一日の充実をも示唆する。ひょっとしたら、窓から白いレースのカーテンを通して、眩しい朝の光が差しているかも知れない。

そしてその時に思っていることが、昨夜見た夢の内容を忘れてしまったということだという。夢は「将来の夢」などと言うときは前向きであるが、睡眠中に見る夢は、どちらかと言えば過去の辛い記憶のことが多い。その場合、夢を忘れるといういうことは過去の自己との訣別を意味するであろう。

過去のことは一旦忘れて、新たに充実した生活の一歩を踏み出す。そんな爽やかな朝の光景が見えてくる一首である。

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