欠けそめてゐるをさらしてのぼり来し冬十六夜のさびしき面(おもて)

石川恭子『青光空間』(2015年、砂子屋書房)

月のことを歌っている。十六夜は十五夜の次の日の月であるから、すこしばかり欠け始めている。夜空にゆったりと見えるので「さまよう」「なかなか進まない」という意味の「いざよい」という読みが充てられている。その後は夜毎に欠けている部分が大きくなり、順に「立待」「居待」「寝待」などの名前が付けられている。この一首もルビは振られていないが「じゆうろくや」ではなく、やはり「いざよゐ」と読むのであろう。

「欠けそめてゐる」のは月のことを言っているのだが、どこか人間のことも言っているようにも思える。現代社会では我々人間もまた、男盛り、女盛りを過ぎても、まだまだ何十年も生きていかなければならない。しかも、老いた顔を晒しながらである。それは十六夜の月と同じように「さびしき面」なのであろう。少し痛ましい気もするが、同時に美しい作品でもある。そして、それが人生の覚悟なのだとも思う。

『青光空間』は作者の第20歌集である。資料に昭和3年生まれとあるから、今年で88歳になられるはずであるが、旺盛な作歌力は衰えない。女医であったと聞くが、観察は冷厳であり、それに長い人生経験から培われた鋭い感性と深い洞察が重なる。桜の花と月を多く歌う作者であり、歌集の帯にも「月の歌人」という賛辞が書かれている。掲出歌の前後には次のような作品がある。

僅かに欠けそむとかなしむ寒宇宙に月のひたかがやけるその面

いびつなる岩石としも思ふまであからさまなる冬の月球

見る人もなき大寒の月あゆみつつ煌々と照りつづけむか夜すがら