たれか死に動かぬ電車にひとびとは顔をあげずにメールを打ちぬ

尾崎朗子『タイガーリリー』(2015年、ながらみ書房)

朝の通勤電車であろうか。急停車して、「ただいま、人身事故がありました。」と車内アナウンスがある。満員の乗客は顔をしかめたり、舌打ちをしたりしながら、一斉にスマホを取り出し、無言のまま職場へ連絡のためにメールを打ち始める。作者もその一人なのであろうか。「メール」という小道具が現代的である。

人身事故、そのほとんどは線路への投身自殺である。以前、日本の年間の自殺者数が3万人を超えていたが、数年前に3万人を切った。そして、数日前のニュースでは、昨年は2万5千人を切ったと報じられていた。因みに、その7割は男性の由である。減少傾向にあるとはいえ、いまだに日本では小さな地方都市一つの人口に相当するほどの自殺者があるのだ。

しかし、死はやはり他人の死なのである。身を投げたひとはあくまでどこかの見知らぬ「たれか」であり、人々は偶々それに遭遇した不運を嘆きつつも、自分が生きてゆくために今日の日程の調整をしなければならない。「顔をあげずに」というところに、都市生活の無機質さと非情さを感じる。ひょっとしたら、それらの乗客の中に、やがて次の二万五千分の一の人が出てくるのかも知れないのに。

この作品の後に、次のような索引が置かれている。

死にわれら閉ぢ込められて一時間車内に沸き立つ饒舌な黙

自死に足止められしわれより申し訳なく匂いたつ焼きたてバゲット

県別の自死者のグラフの棒を撫づなかしみの嵩にしづむ日本か