菊池 裕『ユリイカ』(2015年、砂子屋書房)
この「空気」は、日本語でいう「空気を読め」の、それ。誰もが誰かの顔色を見て発言する(あるいはしない)会議の場、いやな感じです。
そんな嫌悪感をよそに泳ぐランチュウは、誰かのみている夢のよう。「戸外におよぐ」という表現から、会議室の窓の外をひらひら行き来する金魚を想像してしまいました。
会議室の人びとは水に閉じこめられていた?
いづかたへ蜘蛛の跫音とほざかり核廃棄物未処理のよふけ
羊皮紙に刻みたるもの累々とこのゆふぐれのヒューマンエラー
掲出歌の直前に、こんな2首も。
原子力発電所の存在を明示または暗示しています。さらには「蜘蛛」「羊皮」という語のもたらす人外感や、「跫」「累」という文字がまとう不穏さをも仕込んで、人間の愚かさが招く運命をギリシア悲劇ふうに不吉にうたっています。
作者の師である春日井建さんにも、〈大空の斬首ののちの静もりか没[お]ちし日輪がのこすむらさき〉をはじめ、不吉さに満ちた初期作品がありました。
菊池さんの歌は、もっと押し殺した声で読者の耳もとに囁きかけてくるようです。
福島の原発事故により、いちどは放置を余儀なくされた多数のランチュウのうち数匹が生き延びていたのを、数ヵ月後に飼育者が発見したということがありました。いまはふたたび繁殖をつづけているそうです。
そして、生き延びるとは凄まじいことではなかったかと考えるとき、掲出歌のランチュウの夢は、悪夢にも変わります。