歌の作者を知るゆゑ配慮あるらしき批評も聴きぬ被災地の歌会

柏崎驍二『北窓集』(平成27年、短歌研究社)

作者は盛岡市在住のコスモス選者である。

歌会というものは普通、作者名なしで記載された作品の一覧によって相互に忌憚ない意見を交換する。作品はあくまで作品であり、作者が誰かによって批評の言葉に斟酌があってはならないという考え方からである。それはその通りなのだが、そうすることが常に正しいということでもないと思う。

この作品はあの大震災以降の東北地方のどこかの「コスモス」の歌会なのであろう。配布された資料は当然無記名である。しかし、歌の内容を見れば参加者にはその作品の作者が判ってしまうこともある。家族をなくしたという作品、家を流されたという作品、職を失ったという作品、それらを見れば、参加者は作者が誰なのか検討がついてしまう。長年、少人数で行ってきている歌会であってみれば、参加者一人一人の事情が判ってしまうのである。小さな歌会ならではの親密な人間関係である。ある意味で短歌とは、このような細やかな人間関係に基づく詩型なのかも知れないと思う

しかし、発言者は作者が判っていても、作者名には触れない。ただ、作者の気持ちをおもんぱかって、言葉を慎重に選びながら批評する。そして、歌会参加者の一人である柏崎はそのことに気が付く。

掲出の作品の前に以下の作品が置かれている。

津波後を耐へて暮らせる人らなれ今日の歌会にたづさへて来つ

小窓あけ朝顔を見るといふ歌あり仮設住宅に住む人なりや

表現の技法以前のこととしてよき歌を生む作者のなにか