江戸 雪


抱きあへる感触のみをのこしつつ夢のなぎさのレアリテあはれ

久我 田鶴子『鳥恋行』(2007年)

抱きあっていた。しかも誰かの身体に触れているという体感もあった。
しかしそれは夢だった。
夢だったとわかったときの感情はさまざまだろう。
この歌においては、「レアリテあはれ」という一音一音がぷちぷちと切れるような音のつながりによって、みずからの心身を空虚な器としてかなしみ、どこか可笑しみを表現している。

「夢のなぎさ」とあるから、まだ夢うつつのなかにあるのだろう。
うとうとしながら、この夢はなんなの?というおもいが引いては寄せてくる。
夢はなにかの予兆だとか深層心理の表れだとかいわれるけれど、夢もまたそのひとの現実そのものなのではないか。

このとき、誰かがたぶん腕のなかにいた。誰だってかまわない。それは自分自身だったのかもしれない。とにかくそれが自然のできごとだったのだ。

さいきん、わからないことがあまりに多くて、わからないことが怖くなくなってしまった。それがいいことなのかダメなことなのか、それもまたわからないけれど、夢ぐらいは〈不思議な現実〉として楽しみたい。