胸より胸に抱かれ花にも風にもなる火にもなるもの嬰児(みどりご)と呼ぶ

高尾文子『約束の地まで』(2015年、角川書店)

親戚や近所の人たちが集まって来て、赤ん坊を交互に抱いたりすることはよくある。「まあ、可愛いわねえ。私にも抱かせて!」などと言いながら、交互に抱き上げて、おくるみの中のその顔を覗き込んだりする。まだ頑是ない赤ん坊はその時その時で様々な表情を見せる。笑っている時は花のような笑顔と思い、喃語を話していると風のような言葉と思う。そして泣き出したりすると、それは火のようだと思う。そう言えば「火が付いたように泣く」という言い回しもあった。ここで歌われていることは、そんな日常の平和で幸福な一コマである。

一方で、作者はその嬰児の未来の限りない可能性を思う。スポーツ選手か芸術家か、あるいは政治家か実業家か、それとも平凡なサラリーマンか主婦か。今の段階ではあらゆる可能性がこの子の未来には開かれている。成長してゆくに従って、徐々に可能性の範囲が狭まっていくにせよ、産まれたばかりのこの段階では、あらゆる可能性なのである。まさに、花にも風にも火にもなれるように。そして、作者は、この子の未来の可能性を妨げるもののないことをも祈っている。社会的差別や戦争があらゆる赤ん坊の未来の可能性を妨げることのない社会の到来を祈っている。

初句と三句目が字余りになっているが、柔らかい破調であある。まるで嬰児が欠伸をしながら思い切り手足を伸ばしているような伸びやかささえ感じさせる字余りである。

この世見ていまだ数日いくたりの手に清められ包まれ抱かる

掌中の珠抱くからにたれもまづ薬用ソープ手に泡立てて

瑠璃紺青の空かも花ふる窓辺にて乳飲み子はふと五指ひらきたり